♪ 光水は土の香り 霧は土は湿らせ 乙女は水鏡に笑う

『光と夢幻』に出演させていただきました。
アーティスト金大偉さんの曲に振付した二曲の舞と作詞作曲をした歌の一曲
内容はHPに掲載しています。

 ここでは、作詞作曲した「♪ 光水は土の香り 霧は土は湿らせ 乙女は水鏡に笑う」について、書きます。

光水 土香り
あまく かおる 土 
初草(ういくさ)は 
ゆたり ゆれる
ha 笑う

宵の み空に 乙女ぼし
西の 杜の 水鏡に 
明けの 川面に 消える

この日のほんと。

光水はあさ霧となり
あなたの頬 湿らす

光水はあさ霧となり
あなたの(結) ひらく


ひとつふたつ 結び 舞え
ひとつふたつ 結 笑え

ひとつふたつ 結び 開く
ひとつふたつ 結び 開け

光水はあさ霧となり
あなたの頬 湿らす

光水はあさ霧となり
この日に ひらく


 このライブ当日(西暦2024年4月20日)の早朝の西の星空には、乙女座(1等星スピカ)が地平線ギリギリに瞬く。

まるで 乙女座の星々が 自らの命を清めるように、地平線(川)に入っていく…
そんな星すがたに 出会える日。そんな奇跡のライブの当日。

この朝。
天から降る光水は 霧となって あなたの部屋にも降り
あなたの頬を濡らしている(清めている)。

そして あなたは 
あなたに願い(結び)が あったことに 気づき 涙する。

夢の中で ひとつ ふたつと願った(結んだ) 願いがあったでしょう
それを いま 開く
あなたの命は 遊び舞う

朝の地球(土)も 光水に濡れて
土の香りを 醸し出している

生命を息吹く朝の土

この日の朝に  いのちと共に 結び(願い)は 開かれるでしょう。

・・・そんな歌をつくりました。


実は、ライブ前日早朝。

森林で撮影のため
写真家の細田晴美さんと 森林の中で過ごしました。
朝の気配に、私自身が清められ 、歌の歌詞 ♪光水は土香り を自然に歌うことができました。

海の温暖化。「生命の揺籠」の浜辺。

1980年代の初め、世界の海面の平均温度は19.7~21℃の間で推移してきました。
今年、2023年3月末に21℃を超えました。近年の海温度の急上昇は過去に例がありません。

海の温暖化は、海に生息する魚や海藻、珊瑚に多大な影響を与えています。
熱帯地方にいるはずの魚や珊瑚が、本州沿岸でも見られる、また、亜熱帯地方の珊瑚は熱に耐えられず白化現象を起こし、沿岸で獲れていた貝や魚が獲れなくなっているという報告を耳にします。

魚は変温動物。
環境温度に合わせられません。適水温はおよそ10度〜15度くらいと言われています。
暖かい海流を避け、より冷たい沖に移動せざるを得ない魚たち。
これは魚にとっては、死活問題です。
より冷たい沖は、沿岸に比べて圧倒的に栄養素の少ない海域だからです。
沿岸の「陸と海の交わる浜辺」は多様な生物が生息しています。(栄養素が多い)

森を抜け、地下水脈をゆっくりとくだって沿岸に流れる込む雨水、
河に合流し、下ってくる雨には腐葉土からの多くの栄養分が溶け込んでいます。
浜辺では光も加わり、植物プランクトン、動物プランクトンが豊富に繁殖します。
水際に生息するヨシ、蒲、藻、苔、貝、バクテリアは、命を咲かせます。
そこに群がる小魚たち。沿岸に近い海域は栄養素が高いのです。
それに比べて沖は海の砂漠と呼ばれています。

魚たちの生態に影響を与えているのは、近代の私たちの暮らし。
海が変化し、移動せざる得ない魚。動けなくて死滅する珊瑚。
魚や珊瑚の生態(暮らし)をとり戻し、その命に共鳴する感性、喜びを取り戻したい。

作家・石牟礼道子氏の対談『地上的な一切の、極相の中で』より

・・そこには気配というか、みしみしと、ほんとに聞こえるんですけど、微細な生き物たちの気配が。
小さな小指の先のようなカニたちがいてゾロゾロ行ったり来たり、かわいいですよね。春先になると階層がワーっと盛り上がってきて、その中にもたくさんの生き物たちが隠れている。
浜辺に立ちますと、目に見えるものもですが、目に見えないものたちの気配もいっぱい満ち満ちています。
それらが混ざり合って浜辺は「生命たちの揺籠」というか、生まれたものもですが、未だ生まれない「未生まのものたちの世界」でもあるように思います。(略)あの香りというか、潮が満ちてくる時は空も海と一緒になって、なにか大宇宙に抱き取られるような感じがします。平和な豊かな気持ちになれます。・・

人工物が地球の生物の質量を超えて

2020年12月に新聞で「人工物が地球の生物の質量を超えた」という小さな記事を見た時、ひっくり返った。人が作った物が、自然物を超えた・・・。

この小さな記事では、何もわからず、そこからずっとノートを取り続けている。


その記事は、2020年12月19日付けの『Nature』に掲載された記事の抄録だった。
内容は、人由来の人為起源物質が地球上の生物総重量である1兆1000億トンを超えるというもの。
Nature記事はこちら


人為起源物質とは
 人が製造・生産したコンクリートの道路、橋、高層ビル、ダム、飛行機、電車、、ペットボトルや衣服やコンピューター、スマフォ、、身の回りにあるもの全部。

地球の生物総重量を超える

・20世紀初頭には、人為起源物質は生物量の3%にしか過ぎなかったが、その120年後に同量になった。

・現在でも増え続け、今、全人類が1週間で自分の体重と同じ重量の人為起源物質を生産している。

・現在地球上にいる動物の総重量は40億トン。プラスティックは80億トン

増加しているのは「廃棄のゴミ総量」→ 一度生産すると目の前から消えても、地球上からは消えないゴミ重量。


・現在、人間と家畜の総重量は野生動物の2倍となっている。

・人が食料を生産(農耕)開始する一万2000年前までは、植物は今の2倍の重量と言われている。農地開拓や住居の建築により、森の伐採のために半減
2兆トン→現在:1兆トン

・人口増加・・18世紀まで全地球人口5億人。現在、80億4500万人

人新世(The Anthropocene)の提唱が起こる
 人新世とは、人類が地球の地質や生態系に重大な影響を与える発端を起点として提案された想定上の地質時代を指します。
2000年に、オランダ人大気化学学者でオゾンホールの研究の業績で1995年度ノーベル化学賞を受賞したPaul Crutzenが提唱しました。
海洋政策研究所のHPの記事(2023.05.05発行:別府湾の海底堆積物に記録された人新世境界)によると、
・・・別府湾堆積物には人新世の始まりを明確に特徴づける証拠があり、

 海底下64cmの1953年の地層を境に、人為影響の痕跡とみられるさまざまな指標が顕著な変化を示している。プルトニウムやウラン、セシウム等の核実験由来の放射性同位体、化石燃料の燃焼由来物質である球状微粒炭、鉛や水銀等の重金属、PCBやDDT等の残留性有機化合物、マイクロプラスチックなど、人為的な環境汚染の痕跡がこの頃から初めて検出される。化石燃料燃焼由来の二酸化炭素濃度の増加を反映する炭素同位体比の減少や、窒素酸化物(NOx)や窒素肥料の環境中への過剰供給の痕跡が窒素安定同位体比の増加として1953年の層から検出された。窒素同位体比の変化は、過去25億年間で最大規模とされる地球の窒素循環の変化を捉えている。生態系もこれまで類を見ない変化がこの時期よりみられる。赤潮形成種を食べる渦鞭毛藻類の遺骸の増加や、色素分析から海洋植物プランクトン群集の大きな変化が捉えられ、沿岸海洋生態系の劣化が始まったことを示唆している。その他の指標を含めると、1953年を境に人為影響の痕跡が急増することがわかった。これは、歴史上のGDPなどの人類活動のさまざまな指標の加速する時期と一致する。


 人新世とは、人類が地球に新たな地質時代を形成しているのか、、という議論の始まりですが、近年の四季の著しい変化、海の温暖化により海流の変化など、、生活実感が変わった今、他生物への影響を最小限にしていく人間の生産の変革が急がれる。

新作へ 森の渇きと…

 2023年は創作活動を控え、身体の調整と加速度を増して進化続ける情報機器などのツールのノウハウや仕組みなどを学んでいました。
その間、社会で引き起こされる非情な事件や無感性な社会発展を見て、これからの活動をどうしていくのか?どう伝えていくのか?と、自問していました。
応えはいつも出ませんが、軸を放すことなく思ったことをしていくと、「自分の道や方法になる」と思い続けます。改めて「人と自然の関係を書く(テーマとする)」ということに比重を置き、今後、さらに役割を超えて、大いなる生命の前に立てないかとも考えていました。

 2023年10月の半ば、和歌山県田辺を始点とする「熊野古道・中辺路」に行きました。
樹々深い中に木漏れ日が差し込む場を探し、創作の糸口にしようと考えていました。
ところが、森に入りその考えは覆されました。
「乾いている?…」

日差しが眩しい夏日。森に入るとひんやりとして気持ち良い。しかし、踏み締めるたびに土が固く、軽いような気がしてなりませんでした。
 集落を抜けたその古道には、山から湧き出る水、山の頂から落ちてくる雨が溢れないように水はけのための水路が整備されていました。できてからどのくらい経つのかわからないが、今は土や小石で塞がっていて、しばらく水が流れていないことがわかりました。
全く水の気配がないわけではなく、シダも多く生育し、水が岩に浸みでている。だが、一方で岩がひび割れし、周辺の木々の根本が抜き出しになっていました。

その時に私は、朝霧の中で暗い森を往く古代の人々を想像しました。

 日本で古代歌われていた歌(古代歌謡)には、霧や雲、雨を懐く山を詠い、人や情勢を憂やうものが多い。古代人は自然と心を通わせ、むしろ人の心が自然を変えると考えていました。
森に霧がかかるように人の心は潤いや艶を持ち 瑞々しい感性が響いていたのではないか?山上に群れる雲に、生気を感じ、粘り気のある土を踏み、命を勇ましめたのではなかったか。

 東屋(あづまや)の 末也(マヤ)のあまりの その雨そそぎ
我立ち濡れぬ 殿戸開かせ
催馬楽)
ー 男が雨に濡れながら求婚の歌を歌う ー

八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を
(古事記・古代歌謡)
ー 和歌(31字)の始原の歌。素戔嗚の土地を褒めた婚姻歌。出雲地方の新居の祝歌 ー

小治田の 年魚道(あゆち)の水を 
間なくぞ 人は汲むといふ 時じくぞ 人は飲むといふ
汲む人の 間なきがごと 飲む人の 時じきがごと 
我妹子に 我が恋ふらくは やむ時もなし
(万葉集3260)
ー 「あゆち」とは豊かなという意味。愛知県に碑がある。愛知の語源とも言われる ー


 森で感じたのは、実際の「乾き」よりも「生命循環の渇き」。
人だけでなく、生命同士の連関が噛み合わない、「生命そのものの渇き」のようでした。
渇きをテーマに創作を始めます。

童謡(わざうた)。


『星詠み人〜アサギマダラと天文図』には、災いの歌が登場します。
災いの歌は、古代においてあった「童謡(わざうた)」のこと。童謡は呪術的な力を持つ社会批判の歌「技<ワザ>(ちから)歌」です。

童謡は社会的事件の前兆に起こります。その事件を暗示している歌です。
ですから、「災いの歌」が起こると何かが起こると考えられたわけです。

『星詠み人〜アサギマダラと天文図』の主人公の天文生は、朝廷をよいものにしようと、務めている若者です。
災いの歌(童謡)が流行ると、何かが起こる、、そう思われていましたので、劇中で災いの歌が聞こえてきた時に、国に君主に何かが起こってしまうのではないかと、恐れます。

童謡(わざうた)とは、古代日本で流行した歌謡の一種。社会的、政治的な風刺や予言を裏に含んだ、作者不明の流行歌。古代歌謡の中でも、社会的事件の前兆として歌われたとされています。
童謡は『日本書紀』『続日本紀』などのに六国史に記されています。
元々は歌垣、嬥歌の歌であったが、権力者を恐れて、もしくは憚って、語りにくい宮廷の醜聞、政治家の陰口の真相、もしくは疑いを、世に広めるために、社会批判の流行歌として広がったと考えられています。

『日本書紀』に特に多く収録されており、11首ある。
(皇極天皇紀4首・斉明天皇紀1首・天智天皇紀6首)

<童謡の例>

『日本書紀』の皇極天皇期2年(643年)10月
蘇我入鹿が上宮に住まう山背大兄王を含む皇子達を廃し、古人大兄皇子を天皇に立てる謀略が発生したが、そのときに次のような童謡があったと記されている。

岩の上に 小猿米焼く
(いわのへに こさるこめやく)
米だにも 食げて通らせ 羚羊の翁 
(こめだにも たげてとほらせ かまししのをぢ)

翌11月の記述で、当時の人々は、この童謡を、「山羊に風貌が似ていた山背大兄王が宮を捨てて山奥に逃走したことである」と説いたとある。

同じく皇極3年「人有りて、三輪山に猿のひるねを見、ひそかにそのひじを執らふるに その身をそこなわざりき。猿なお合眼ぎて歌ひしく、」

 向かつ峰(を)に 立てる夫(せ)らが
 柔手こそ 我が手取らめ 
 誰が裂手(さきて)そもや 我が手取らすもや

<意味>
向こうの山に立っている人は私の手を取ってもいいでしょう。でも、だれがガサガサした手で私の手を取るでしょう。

<前兆的解釈>
入鹿の荒々しい手が山背の大兄の王を捉える。

同じく皇極3年
はろばろに 言そ聞こゆる 島の藪原
<意味>
かすかに話し声が聞こえる 島の藪原で

遠方(おちかた)の浅野の雉(きざし)
響(とよ)もさず 我は寝しかど 人を饗(とよも)す

<意味>
遠方の浅野の雉は声を立てて鳴く。私はひっそりと寝たのに、人が見つけてやかましく囃し立てる。

小林(をばやし)に 我引き入れて せし人の 面も知らず
家も知らずも

<意味>
話に私を引き込んで 私を抱いた人 顔も家も知らない人

天智9年
夜中に法隆寺に火がついて 余ることなく燃え尽きた
たくさん雨が降り 雷が鳴った その時の童謡

打ち橋の 頭(つめ)の遊びに 出でませ子
玉手の家の 八重子の刀自 出でましの
悔いはあらじを 出でませ子
玉手の家の 八重子の刀自

<意味>
寺が焼けるから 早く家から出てこい

アサギマダラに魂をのせて。徳之島節

2022.10.16 国営飛鳥歴史公園 四神の館で上演『星詠み人〜アサギマダラと天文図』。
■徳之島節との出会い
 2022年10月16日の国営飛鳥歴史公園内で行われる「星まつり2022」で上演する『星詠み人〜アサギマダラと天文図』の中で唄う歌があります。
 徳之島節(奄美シマ唄)です。私とその歌の出会いは突然でした。
 今年のお正月。
飛鳥で即興のパフォーマンスをすることとなり、滞在期間に経験した感触、感覚が言葉が脳裏に浮かびました「青、蝶、星、石、筆、、」がキーワードとして脳裏に浮かびました。それを察知してくださり「この曲はどうですか?」とその場で唄ってくださったのです。

■アサギマダラは占いをする蝶
 渡会美枝子さんは、奄美の唄者、朝崎郁恵氏の門下で10年以上学ばれ、現在も歌い継いでいる唄い手。。その歌声と旋律に、私は魂を揺さぶられました。奄美の言葉でしたので、意味は全くわかりませんでした。それから解説をくださり、「この唄は奄美のシマ唄です。ここ飛鳥から奄美の群島に飛ぶ蝶・アサギマダラを詠った唄です。奥飛鳥には、アサギマダラが蜜を吸う藤袴の群生が育成していて、そこで蜜を吸い、そのシマ唄では、アサギマダラのような蝶が親しい人の魂を乗せて海を渡り、それを占う。そう歌っています。」と、教えてくださいました。
 飛鳥と奄美大島を繋ぐ古い歌があることを知り、私は驚きました。奄美大島は蝶のクニです。奄美大島の神女たちは、蝶を敬い神事を行います。私も奄美に滞在をして歌を作ったことがあります。自然に蝶の歌となりました。私は親しみを思い出し、ますますこの歌に惹かれました。

■アサギマダラにほだされて
 劇の幕開けに、渡会美枝子さんに唄っていただく「徳之島節」。
その歌詞をご紹介します。

 徳之島に向かって 飛んでいる蝶よ 待ってください。
 私の大切な人に 伝言を頼みたいのです。
 飛んでいる鳥さえ 先を見て飛んでいます。
 あなたの気持ちに ほだされて
 私はここまで 来たのです。

美しい言葉に私はもう一度、感動し、まさに私こそがこの歌にほだされて、
星詠み人と占い蝶であるアサギマダラを劇空間に共存させるお話を書くことになったのです。

アサギマダラは「渡り蝶」です。小さな体で海を渡ります。
約1000km以上も飛ぶそうです。アサギマダラについては、次の投稿で。


飛鳥時代、中国から渡ってきた天文と思想

2022.10.16 国営飛鳥歴史公園 四神の館で上演『星詠み人〜アサギマダラと天文図』。

「観象授時」の思想が反映された天文
 天文図は日本に渡ってきた僧侶(学者)によって伝わりました。中国古来の思想に「観象授時(かんしょうじゅじ)」という政治思想があります。それは「支配者たる皇帝は天文現象に現れる天帝の意志を見てまつりごとを行う」というもの。聖武天皇は明確に観象授時の達成を図るために占星台を興し天文現象を記録させたのではないかと考えられます。(参考資料「キトラ古墳と天の科学」より 中村士氏 論説)
 また、キトラ古墳の天文図に残されているように、星は中心にある星々が皇帝(君主)に近い星であり、外に広がるに従って、君主に仕える星々の名前となっています。
つまり、天体に皇帝の相関図が描かれているとも言えます。

 当時の朝廷の歌詠であった柿本人麻呂の和歌に、こんな歌があります。

大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 廬りせるかも

皇者 神二四座者 天雲之 雷之上尓 廬為流鴨
<よみ>
 大君(おほきみ)は
 神にしませば
 天雲(あまぐも)の
 雷(いかづち)の上に
 廬(いほ)りせるかも
<私訳>
大君は 地を司り天象も司る神でおられるので 雷の上に仮の庵もお住まいでいらっしゃる。

・現在の明日香村にも「雷丘」という地名があり、小高い丘になっています。
天文現象を表す言葉についた地名を思うと、天をも支配している大君の姿が浮かび上がるようです。

天文知識や情報は内密に、さもなければ罪となる。
 天文現象には天帝の意志が表れているのであるから、天の示す姿は、政の予兆や君主の身に何かが起こることの反映ともみなされた。(参考資料「キトラ古墳と天の科学」より 石橋茂登氏 論説)
 当時の法令(大宝律令・養老律令)の「僧尼令」には、僧や尼が天文現象を観察して占うことは罪であると明記。また、同じく「職制律」には、天文観測器具、書物、式盤を個人所有してはならないと明記。さらに、「雑令8」には天文生が占書を読んだり天を仰ぎ見て観察したことを漏らすのは禁ずる。と明記されている。

 今回の『星詠み人〜アサギマダラと天文図』では、天文の学生、天文生が気候の変動を外部に漏らすことをしてしまいます。それが物語のキーとなっています。
 

天武天皇は天文や占いが出来た

2022.10.16 国営飛鳥歴史公園 四神の館で上演『星詠み人〜アサギマダラと天文図』。

 日本書紀の天武天皇期には、このような記述がある。
「天文・遁甲を能くしたまふ」。
意味は、「天文・遁甲(占い)に優れておられた」です。戦術を考えるときに、自ら式盤を用いて占った記述も残されている。
・・・横河にいたらむとするに、黒雲有り。広さ十余丈にして天にわたれり。時に天皇、あやしびたまひ、即ち燭(灯)をあげてみずから式(ちょく:占い盤のこと)をとり、占いて曰はく、「天下両分のしるしなり。然して われついに天下を得むか」と・・・

また、天武4年1月5日の記述には、「始めて占星台を興(た)つ」とあり、飛鳥の時代に天文が政の中に大きく入ってきたことがわかる。

「キトラ古墳」と「キトラ天文図」について

2022.10.16 国営飛鳥歴史公園 四神の館で上演『星詠み人〜アサギマダラと天文図』。

キトラ古墳(キトラこふん)とは
 7世紀末〜8世紀初頭に造られたと考えられている円墳。
場所は、奈良県高市郡明日香村の南西部、阿部山。「キトラ」は亀虎の表記もある。名称の由来は、諸説ある。(北を司る玄武(亀)と西を司る白虎(虎) から命名など)

当時の「天文」を知る手がかり
 内部に壁画があることが発見され、キトラ古墳は飛鳥時代頃の朝廷の天文知識や中国、朝鮮から渡ってきた文化、学問、技術を知る手がかりとなっている。(暦、時計、算術、法)天文図は東アジアで、最古に属するものである。

天文図の発見は40年前。
1983年11月7日、石室内の彩色壁画に玄武が発見。
1998年 青龍、白虎、天文図が確認。
2001年 朱雀と十二支像が確認。

誰が埋葬されているか?
 未だ判明していない。キトラ古墳出土品に、飾り金具、刀装具、玉類など出土された。正倉院にも匹敵する優美なものであった。50〜60歳代の男性と人骨から分析された。

天文図と一緒に描かれていたもの
 キトラ古墳内部の石室に壁画が描かれていた。
天の四方を司る四神の青龍(東)、朱雀(南)、白虎(西)、玄武(北)。
それぞれの四神の下に三支づつ、合計、十二支の獣頭人身が描かれていた。

キトラ天文図
 キトラ天文図は天球の広域にわたる中国式星座を描いたもの。
後の時代にも受け継がれ、仏教では、北斗信仰として星曼荼羅も制作された。天の北極を中心に星座と日と月が描かれている。星は金箔の丸。星と星を繋ぐ線は朱色。
星は全部で350以上。星座は74以上。
他に、北極(中心点)を中心に朱色で円が描かれている。大中小、三つの円。
 小円・・地平線に沈まない星
 中円・・地平線に沈む星
 大円・・地平線から上がってこない(1年中見られない)星
さらに、中心からずれた円もあり、それは太陽の通り道の黄道を示している。
キトラ天文図は長年に渡り観測された天文図が描かれている。観測地点は飛鳥より北ではないかと考えられている。

キトラ天文図の世界観
 中国で発祥した星図。北極を中心に3つのエリア(三垣)に分かれていて、天帝を中心の星と見立てて、他の星を天帝に属する支配(配置)として考えられている。中心のエリア(紫微垣)にはが身分が高く、天皇、太子、庶子などの星がみられる。中国の書『史記』の注釈書『史記索隠』に「星座に尊卑有子は人の官曹に列位有るが如し」と記されている。また、李白の詩『羽林十二将』に「羅列応星文」(星宿せいしゅくの方位に応じて配置につく)とある。

飛鳥時代の天文関連
 飛鳥時代は、中国、朝鮮で発展した学問、思想が伝えられていた。
民衆にまで広まることはなかったが、発展した技術、学問を積極的に取り入れ、国の基礎である制度、体制に組み込まれていった。伝えられたのは天文図だけではなく、時計(水落遺跡・石神遺跡(当時の迎賓館))、カレンダー(具注暦木簡)などがあり、最先端の技術と思想を取り入れていたことがわかる。

古都・飛鳥を呼びかける歌

1300年前の古代人にとっても飛鳥は憧れの地であり、飛鳥を呼びかける歌は多く残っています。

飛鳥は、狭義の意味では推古天皇期に飛鳥に都を開いた時から、藤原京に都が移る102年に栄えた都です。その飛鳥時代に起きた数多くの出来事を取り囲むように、飛鳥川が流れ、今でも棚田が残る自然豊かな地です。

歴史でもお馴染みの乙巳の変(大化改新 645年)が起こった「飛鳥板蓋宮跡」は飛鳥の中心。1963年に発掘されて以来、地下に何層にもわたって宮の跡が見つかり、飛鳥の重層な歴史を想像させます。
飛鳥時代は、仏教をはじめとする新しい文化の法や礼儀が取り入れられ、また遣隋使が始まりました。飛鳥の地には、海外からの新しい風がたくさん入ってきました。

近年の発掘で飛鳥の古墳から天文図の描かれた壁画(キトラ古墳、高松塚古墳)が見つかり、その煌びやかな壁画の様子から、古代飛鳥の世界観の刷新があります。『日本書紀』にも天文に詳しい僧の話が書かれています。
ー鳳凰、麒麟、白雉、白鳥、このように鳥獣から草木に至るまで符応はみな天地の生み出す祥瑞であるー

そんな飛鳥は、古代の歌人たちからも憧れの地でした。
奈良時代の歌人たちからも、飛鳥は「故郷」です。
彼らは、故郷・飛鳥に思いを込めてたくさんの歌を残しました。
朝夕その姿を変える飛鳥川だけでなく、丘や坂道、石橋、風、、どんなものにも呼びかけ歌を残しました。

ー今日もかも 明日香の川の夕さらず かわずなく瀬の 清(さや)けかるらむ (万葉集356)
ー飛鳥(とぶとり)の 明日香の里を置きて去(い)なば 君があたりは 見えずかもあらむ
(万葉集78)
ー明日香川 明日も渡らぬ 石橋の 遠き心は 思えぬかも (万葉集2701)
ー明日香河 川淀さらず 立つ霧の 思ひ過ぐべき 恋にあらなくに (万葉集325)

日本最古の和歌集『万葉集』には、明日香(飛鳥)関連の歌が約150首あります。

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