湖の貝


琵琶湖のある近江地方は 古代より 白玉造りが盛んでした。

万葉集「近江の海に沈む白玉を深く知ることもなく恋していた時より、(深く知ってしまった)今の方がより恋心が増します。」
女性を白玉にたとえて詠んでいる。

白玉、つまり、真珠の伝説、説話が 近江にはたくさん残っています。 
今回、原作にした謡曲『海人』もその一つです。

当初、私は人魚の取材にと、歩いておりましたが、
その後、「海女」がテーマに決まってから 手元に琵琶湖(近江)の真珠が 引き寄せられるように 集まりました。

このたび、アクセサリーの制作を福島佳代子さんにお願いしました。
福島さんが、たまたま東京から出張で関西地方に行く予定があり、琵琶湖の真珠を扱っている「神保真珠商店」に立ち寄る機会がありました。

運良く、杉山社長さんと出会うことができ
二日前に手に入ったという とても珍しい母貝と真珠が連なった 龍の形の真珠貝を 見せてくださったそうです。

池蝶貝と真珠でできている。

今回、こういうご縁をいただき その龍の形の真珠貝を使わせていただきます。

また「海女」のなかで、衣装に使う上着には 琵琶湖の固有種である池蝶貝の母貝からつくった ボタンを使います。

貝の輝きは 特別です。
小さなワンポイントですが 気品をもたらしてくれます。

神保真珠商店さんは びわ湖真珠を残していけるように 今も模索しながらお店を開いていると伺いました。

琵琶湖は、日本の経済発展に伴って 大きな環境汚染を経験しています。
汚染以降、地元住民の方々の日々の努力によって 自然を戻す運動がなされています。
今もその活動は進行形です。
日本の経済活動や人々の暮らし、考え方も大きく変動がある昨今。
古からの自然の輝きを持つ真珠に出会えたこと、環境だけでなく どうやって「大切なものを大切なものとして届けていけば良いのかと」模索をしながら 真珠と向き合っている方々と出会ったことが、大きく制作に影響を与えました。

びわ湖の真珠は「無核真珠」です。

一般的に海の養殖真珠は、貝殻などで作った「真珠核」を貝の中に入れ、その周りに真珠層を巻く「有核真珠」という技法によってつくられますが、びわ湖真珠は核を入れない「無核真珠」の技法で作られています。

すべて真珠層の巻きによりつくられるびわ湖真珠は、唯一無二の美しい色、かたちに育ちます。

ちなみに、万葉集には 「白玉」の歌が27首あるそうです。

台本「海女」

このたびの「海女」は私のオリジナル作品です。
能楽に『海士(あま)』があります。能は室町時代に発展した日本の伝統舞台芸能です。

『海士』は作者が不明ですが、玉取り物語、日本書紀から題材を取った作品です。

<簡単なあらすじ 能『海士』>
龍宮に奪われた宝を巡る話。
藤原房前が自分の母が海人で、その供養のために彼の地へ行く。
そこで、海人に出会う。その海人から自分の縁を聞く。その話は、
時の淡海公(藤原不比等)と契った海人が、
海に潜り、珠を取りに行

く見返りに、自分の子どもを跡取りにして欲しいと願う。
淡海公はそれを約束し、海人は海竜王の海底に行き、珠を奪う。
竜王に追われるが、自分の体内に隠して海から珠を取り、陸に上がる。
珠を淡海公に渡し、死に絶える。
と言ったもの。
そして、話し終えた海人は私が房前の母だと告げる。
房前は母の供養をし、讃え舞う。

『海人』を元に、大きな命と限られた命がせめぎあう『海女』を書きました。

限られた命をどう使うか?

自分の進む道に 

たまたま
気になっていたから
なんとなく
いてもたってもいられなくって

で出会うことがある。

『海女』のひとりの女も そんな女です。

新しい風が吹き 波に呑み込まれ 大きく人生が動き出す。
これは 私の命の中にもともとあったことなのか? それとも、、私の使命なのか?
大きな命から まるで「出番です」と言われているように 自分の鼓動が高まる時。。。

命をつなぐ役割を持つ女が 残してゆくことは 心を配るところは

共演に龍笛・中村香奈子さんをお迎えします。
笛吹き(龍笛)も使命に直面し、名笛を鳴らさなくては白玉が取れないという命題にあたる。
美しい笛が鳴れば、海底の玉が光る…互いに惹かれあいながらも、白玉を取るために 命を出し切り。。

歌、舞、芝居、龍笛の『海女』。短い作品ですが、心に残る作品にしたいと思います。

全パフォーマンスは70分。

・龍の珠取り <パフォーマンス 太鼓+篠笛+うた>
・白玉 <うたと踊り>
・竜宮 <篠笛+津軽三味線>
・朝焼け <笙と舞>
・紐舞「龍」 <太鼓+津軽三味線+舞>
・一人芝居『海女』 <龍笛と芝居>
・人魚 <篠笛と舞>

全パフォーマンスが『海女』に繋がります。

詳しくはhttps://eminakae.wordpress.com/
配信はhttps://teket.jp/690/2164

土の光

『海女』の背景を支えてくださるのは 染色家・小渕裕さんの大布です。
長さは6m。

交野市星田の土を焼き上げて染めてくださいました。
この染めの技法は、小渕さんと交野市の浄水場から出る黄土との出会いから生まれました。

交野市の水道水は、地下300メートルの地底から水を汲み上げた地下水を、浄水場で濾過をして、水道水としています。その濾過の過程で生まれるのが黄土。

この黄土は、大阪市内を見下ろす生駒山に降った雨水が地下層を通過してゆき、微生物とともに育まれた天然のベンガラ(顔料)です。

自然のエネルギーを帯びた大変美しい色の土です。
小渕さんはさらに、採取したままの黄土を焼き色のグラディーションを生み出されました。 古代からつづく色つくりの手法と、仰られていましたが、設定を変え、何度も繰り返し試されて色を導かれる姿に、心打たれました。

今は、黄色、赤だけでなく 豊かな気配のある色合いが生まれています。

小渕さんとのお仕事は今回で5回目。
毎回、テーマに合わせ 素材選びから 雰囲気の共有まで 真摯に向き合ってくださいます。

柔らかな物腰の中にも アーティストとしての信念と 職人気質の細やかさと精緻さを兼ね備えた小渕さんに 今回も全面的にお任せをしました。

うみを布で。。というお話でしたが、当初からふたりともイメージは桃色。ピンク。

朝焼けの海の色がイメージ。

当日会場で 自然の輝きとあたたかいやわらかなもの が背景を支えてくれます。

『海女』の詳細はこちらです。
配信はこちら

浮御堂 満月寺

びわ湖の浮御堂。海門山満月寺、禅寺です。
琵琶湖の上にお堂があります。
ちょうど満月の朝の日に訪ねました。

お天気の良い日で、全く風がなく穏やかでした。
そこでお掃除をされていた方に いろんなお話を伺うことができました。
特に印象的だったのが「今日は風がなく、あちらの岸までよく見える。こんな日はあまりない。」と言う言葉でした。

向こう岸に、近江富士(三上山)が見えました。美しい朝でした。

私はここでお話を伺っている時に 湖の水面に浮かんでいる水鳥たちが一斉に飛び立つ瞬間に出会いました。

よくあることなのですが、非常にその様が美しく、キラキラとした水面に水鳥たちの声が反響しているように感じられ心に残りました。
『海女』のお芝居の中に、女が自分の役割を思い出すシーンでこの瞬間の出来事を入れました。

 
浮御堂は堅田にあります。

堅田は琵琶湖の最狭部の西側にあります。比叡山の麓近くのため、街中に22のお寺があります。
湖族の郷。
古代から高度な文明が芽吹き、比叡山の荘園でした。
恵まれた地形も手伝って湖上の勢力だったようです。

そこに流れていた仏教への信仰の面影、豊かな往来の面影…ずっと心に残りました。

観音正寺

滋賀県の繖山の観音正寺に行きました。ここは西国第三十二番札所です。
1400年前に聖徳太子が巨岩の上で舞う天人を見て、天楽石と名付けた「奥の院」があり、大きな岩が点在しています。

釈迦如来と大日如来が観音の化身の聖徳太子に千手観音を霊木で彫像するように啓示し尊像を安置したのが始まり。

人魚伝説も伝わっています。
境内奥には人魚のミイラが保管されていました。いまでは現物は火災で焼けてしまい、写真を見られるようになっています。

人魚の写真
画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: dsc_0159.jpg

火災から本殿を再建した時に安置されたのが、霊木(白檀の木)で彫られた千手千眼観世音菩薩。

本殿から白檀の香りがしていました。山上にありながらも水が豊富な寺でした。



白檀の香りが 取材後もずっと 体の奥深くに残りました。
仏の心を表すもの、また、新しい風を吹かす存在として
『海女』の作品の中に 登場させています。

女性の伝えたお経「勝鬘経」


滋賀県にある琵琶湖を見下ろせる観音正寺には 人魚伝説があります。
「そこに行ってみたい。」
こんな思いから調べているうちに、「勝鬘経」に出会いました。

観音正寺は聖徳太子が創建したと言われているお寺なのですが、
聖徳太子が自ら解説した(大事だと思っていた)お経が勝鬘経なのです。

お経には、勝鬘夫人が伝えたことが書かれています。
当時、女性が卑下される仏教の世界にあって重要視された勝鬘経とは?
そしてその勝鬘夫人とはどんな人なのか?
その教えに近づくことから、旅は始まりました。

石牟礼道子「花を奉る」

ただ滅亡の世せまるのを待つのみか
ここにおいて われらなお
地上にひらく一輪の花の力を念じて 合掌す

「花を奉る」 石牟礼道子

石牟礼道子さんが2011年の3.11の翌月に書いた詩があります。
「花を奉る」。
ミナマタとフクシマとを同じに見ていた石牟礼道子さんの言葉が強烈に響く。

3.11に上演する「緑亜紀の蝶」についてはこちら

ミナマタとフクシマ

作家・藤原新也さんと石牟礼道子さんの対談『なみだふるはな』という書物があります。
冒頭で「ふたつの歴史にかかる橋」と題して、藤原新也氏がこのように書いている。

なみだふるはな

1950年代を発端とするミナマタ。
そして2011年のフクシマ。
このふたつの東西の土地は60年の時を経ていま、共震している。

非人道的な企業管理と運営のはての破局。
その結果、長年に渡って危機にさらされる普通の人々の生活と命。
まるで互いが申し合わせるのかのように情報を隠蔽し、
さらに国民を危機に陥れようとする政府と企業。
そして、罪なき動物たちの犠牲。
やがて、母なる海の汚染。

歴史は繰り返す、という言葉がこれほど鮮明に再現した例は稀有だろう。
そのふたつの歴史にかかる橋をミナマタの証言者、
石牟礼道子さんと渡ってみたいと思った。

「ふたつの歴史にかかる橋」藤原新也

藤原新也氏がこのように書くように、二つの海の汚染は同じようにコンクリートの壁を使って封じ込めようとし、まだ終わっていない。

■水俣の汚泥の処理
水俣の汚染を解決するためにチッソの工場から水俣湾に流された水銀ヘドロは埋め立てられ、その地は公園になり、不知火海が見渡せる場所に慰霊の碑が立つ。
海に汚染魚を封じ込めるための「仕切り網」が放たれた。

埋め立て地は、水俣湾の奥部にあたり、水銀値の高い汚泥がたまったところを鋼板で仕切り、比較的濃度の低い汚泥で埋め立て、さらに、山の土で覆った。
全体で約58ヘクタール。1990年に埋め立てが完成した。しかし、汚染泥を囲っている鋼板の耐用年数は約50年とされている。昨年の熊本地震でも汚泥の染み出しが危惧されている。

参照:朝日新聞「知る水俣病
参照:「熊本地震で水俣病再来の危機」AERA

■福島の放射能汚染の処理

福島第一原発で増え続ける放射性物質トリチウムを含んだ処理水(溶け落ちた核燃料を冷やすため、原子炉に注がれた水)は、そこに流れ込む地下水も合わさり、毎日490トン増え続けていたので、建屋の周辺の地盤を凍らせて氷の壁で取り囲み、地下水の流入を抑える対策をした。「凍土壁」。また、地下水はタンクでの保管。それの置き場所は2022年夏ごろ限界になるとの試算している。立ち並ぶ約960基の巨大タンクに、トリチウムなどを含む水110万トン超を保管。事故直後に比べて汚染水の発生量は減ったが、浄化処理後に保管する必要のある水が今後も年間5万~10万トン新たに出る。早ければ2年程度で容量が限界に達する。処分方法は決まっていない。

参照:「原発のない国へ」東京新聞

3月11日に上演する 石牟礼道子作「緑亜紀の蝶」についてはこちら。

与那国スンカニについて

与那国島でうたわれている歌。作詞者・作曲者不明。石牟礼道子作「緑亜紀の蝶」に出てくる歌です。
男女の別れを名残惜しむ、後ろ髪を引かれる想いからできた「うた」ではないかと言われています。

人との別れが主題で、現地では、葬儀の際にも歌われるそうです。
男女(あるいは同性でも)の掛け合いで歌われることも多く、個人の、うちに秘めたやりきれない悲しみを吐露する歌。

張り詰めた想いがそのまま声になるような「ピーンと張り詰めた一筋の線のような」歌い方が特徴。

歌詞は様々あるが、伝わっている中で代表的なものは、下記の歌詞。
美ら島物語参照)

1.ゆなぐにぬなさぎ いくとぅばどぅなさぎ
 ぬてぃぬあるあいや とぅやいしゃびら
(日本語訳)与那国の情け 云う言葉が情け 命のある間は おつきあいしましょう。

2.ゆなぐにぬとけや いきぬみじぐくる
 くくるやしやしとぅ わたてぃいもれ
(日本語訳)与那国の渡海は 池の水心 心安々と 渡っていらっしゃい

3.なんたはまうりてぃ むちゃるさかじきや
 みなだあわむらし ぬみぬならぬ
(日本語訳)波多浜下りて 持った盃は 涙泡盛らし 呑むことができない


石牟礼道子作『緑亜紀の蝶』出演 2020年3月11日(火)

石牟礼道子の代表作『苦海浄土』

うちは情なか。箸も握れん、茶碗もかかえられん、口もがくがく震えのくる。付添いさんが食べさしてくられすが、そりゃ大ごとばい、三度三度のことに、せっかく口に入れてもらうても飯粒は飛び出す、汁はこぼす。

石牟礼道子『苦海浄土』

代表作「苦海浄土」(くかいじょうど)
1969年に出版された書籍。水俣の不知火海に排出された汚染物質により自然や人間が破壊し尽くされてゆく姿、被害者である漁民たちの運動や患者たちの苦悩・希望を克明に描いた作品。
人間とは何かを深く問う、戦後日本文学を代表する傑作。全三部。完結まで四十年以上の歳月をかけて書かれた。
第一部が出版された1969年の日本は高度経済成長の只中で水俣病のことは知られていなかったために告発の書でもあった。しかし、ジャーナリズムの側面だけでなく、命、尊厳に向き合い、声なきものへ寄り添い言葉を紡ぎ、極限状況にあっても輝きを失わない人間の、生命の希望を示す。


・水俣病(みなまたびょう)
1956年に公式発見された。体内に入った有機水銀により脳や神経が侵される有機水銀中毒。熊本県の不知火海に排出された汚染物質を魚が吸収し、その魚を食べた漁民たちが患った。戦後の最大の公害病のひとつ。
その後、汚染された魚たちや、ヘドロはコンクリート詰めにして東京ドーム12個分の広さの廃棄場に埋められた。現在は汚染濃度は規制値以下に下がっている。

参照:熊本地震で“水俣病再来”の危機(2016.5.23 AERA)


石牟礼道子作『緑亜紀の蝶』出演 2020年3月11日(火)
於:
銕仙会能楽研修所

いのちは生まれて死に再び生まれて繋がる 祝言と鎮魂の連鎖
鎮魂のなかに祝言が孕まれ 祝言のなかに鎮魂が兆す
いのちの源に遡り いのちの再生を願う音楽詩劇の上演

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