「ああこれは、この世でたったひとつでもよい、いのちある間に どうしても聴きたいと思うておった うた というものではあるまいか。」
石牟礼道子『緑亜紀の蝶』より
3月11日。石牟礼道子さんのお誕生日に、舞台『緑亜紀の蝶』に出演します。
■『緑亜紀の蝶』について
石牟礼道子詩集「はにかみの国」(芸術選奨文部科学大臣賞受賞)に収録作品。
この作品は石牟礼さんの作品の中で一番明るい作品とも言われています。
(物語)
アコウの木の根に宿っている夢見神が、お使い蛇の白ヘビ、ベラの魚と共に、九州の南の浜辺から潮にのって、不知火海(しらぬいかい)、天草、久高島を渡り、最後に与那国島の宇良部岳へたどり着くお話です。
その途で、生命の根源を地の層に発見し、またさらに、海の中にある層に、地球の生まれるずっと前の太古の命を見つけます。
夢見神は、「私は一体何者なのか?」「生命の根源はどこにあるのか?」と、漂いながら問います。
海の奥底で、水の神・白ヘビは「タイムトンネルを潜って太古へ行こう」と謳います。
緑(生命の色)亜紀海流にのり、太古の感覚の世界に入っていきます。
そこには泉に向かう乙女たちが、満潮の潮の中で
♪え おとめ 恋しや いんいんいん
え おとこ恋しや いんいんいん
と、唄っています。その歌声(生命の産む力)を体にまといながら、さらに、深い生命の歌・与那国スンカニに出会います。
その歌は、夢見神が「命あるうちに どうしても聞きたいものだと思っていた」うただった。
その唄で、海そのものが緑色に透き通り、、俄かに明るくなって、、海が鳴り、アコウの木に宿る夢見神と白ヘビは、海の上に生命の迸りを見ます。(何を見たのかは劇場で!)
(メモ)
夢見神はふさいでばかりいるので「ふさぎ神」と呼ばれます。
起きているときは憂鬱でならないので、寝ています。そして夢を見ています。
夢を見たまま、潮にのって海の上を揺蕩います。
夢見神は、どうして塞いでいるのかは、物語のどこにも書かれていません。しかし、憂鬱で憂鬱でたまらないので、微笑んだつもりでもベソをかいているようなのです。
この夢見神は作者の石牟礼さんそのもののように思います。
文明により汚染された海を抜け出し、太古の記憶が残っている海の中の層を想像し、さらに、南へ南へと海を渡り、ひとのいのちの声がのこっている「うた」に出会います。
詩的な表現で物語は語られていきますが、だからこそ、質感、生命の手触りやいぶき、色彩感覚が伝わってきます。

